檸檬

梶井基次郎檸檬を読み返した。

焦燥や嫌悪を体に抱えた主人公が、あてもなく街をぶらぶらして「なにかをしなければ」「なにかできるはずだ」という若さも伝わってくる。

金はなく以前通っていた丸善には近寄らなくなった。

宿は無く、友達の家を転々としていた。

今好きなのは寺町通に面する八百屋だ。明るい街並みの中にある似つかわしくない地味な八百屋。きっと自分に照らし合わせているんだろう。そこで檸檬を買った。

檸檬を持って歩いていると焦燥や嫌悪から解き放たれる気分になる、詩人になった気分で街を歩く。熱っぽい手をひやした。ユーモアまで出てきた。

気づいたら丸善の前。きょうなら、この檸檬を持っていれば丸善に入れると意気揚々と入るが、すぐに気分が悪くなる。美術のコーナーで本を引き出しては力なく置いて、繰り返し本を重ねていった。きれいな色になるように試行錯誤して最後にはいただきに檸檬を乗っける。

これが爆発したら気詰まりな丸善も木っ端微塵だと笑いながら。

 

「何かできるはずだと」燻っていた主人公は色彩に気をつけながら本を積み上げ「檸檬」を乗せて「作品」を完成させた。また妄想の中で爆発を成し遂げることができた。

檸檬は自分の魂部分にある不吉な塊と対等であり、相反するものであり(色、形、匂い、生い立ちすべて)置き換える方ができるものだった。

最後に載せるものが不吉な塊であれば作品は完成しなかっただろう。檸檬は芸術家として自分の思いのままにスクラップアンドビルドができる理想の自己内面の投影であった。