檸檬
焦燥や嫌悪を体に抱えた主人公が、あてもなく街をぶらぶらして「なにかをしなければ」「なにかできるはずだ」という若さも伝わってくる。
金はなく以前通っていた丸善には近寄らなくなった。
宿は無く、友達の家を転々としていた。
今好きなのは寺町通に面する八百屋だ。明るい街並みの中にある似つかわしくない地味な八百屋。きっと自分に照らし合わせているんだろう。そこで檸檬を買った。
檸檬を持って歩いていると焦燥や嫌悪から解き放たれる気分になる、詩人になった気分で街を歩く。熱っぽい手をひやした。ユーモアまで出てきた。
気づいたら丸善の前。きょうなら、この檸檬を持っていれば丸善に入れると意気揚々と入るが、すぐに気分が悪くなる。美術のコーナーで本を引き出しては力なく置いて、繰り返し本を重ねていった。きれいな色になるように試行錯誤して最後にはいただきに檸檬を乗っける。
これが爆発したら気詰まりな丸善も木っ端微塵だと笑いながら。
「何かできるはずだと」燻っていた主人公は色彩に気をつけながら本を積み上げ「檸檬」を乗せて「作品」を完成させた。また妄想の中で爆発を成し遂げることができた。
檸檬は自分の魂部分にある不吉な塊と対等であり、相反するものであり(色、形、匂い、生い立ちすべて)置き換える方ができるものだった。
最後に載せるものが不吉な塊であれば作品は完成しなかっただろう。檸檬は芸術家として自分の思いのままにスクラップアンドビルドができる理想の自己内面の投影であった。
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やはり頭に霧がかかっているけど、ぶつかってから解決していこう。一年良く頑張った!
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妻の体調はまずまずらしい。息子も咳だけがしつこく残っている。早く良くなると良い。
明日は休み、なにしようかな
気付いたこと
頭がおかしくなって5日間の休みをもらった。妻に事情を話した。
キャンプに出掛けた、山の上にあるキャンプ場で何も考えずに過ごそうと思った。
設営が終わったら簡単に作れるワンポットパスタを作った。マズかった。
焚き火を眺めた。明朝から降り出すはずの雨は夜からは降って来た。テントに水が弾く、漏れないといいなと思った。夜中に寒くて風邪をひいたのか、頭が痛くなってきてロキソニンを飲んでパーカーを着た。すぐに良くなって、気付いたら寝てた。0時頃だった。
一度も起きずに8時に起きた、風邪じゃなくて一安心したが完全に寝坊だ。キャンプは早起きでなければいけない。
雨はまだシトシト降っている。お湯を沸かしてコーヒーを作る。飲みながら撤収を考えた。雨の日は大変だ、すべてが濡れて泥だらけになる。
気が重いなと考えてたら「パーティーの後片付けは大変な方がいいよ、朝起きて普段と変わらない風景だったら寂しいでしょ」と岡田将生が言ってた言葉を思い出した。本当にその通りだ。こんなに今の自分に刺さる言葉がほかにあるのか。気持ちが楽になった。
撤収し、ナビに自宅を設定して走り出したがいつもと違う道を案内し始めた。
何度もここには来てるがこんな道を案内されたことはなかった。少しずつ道が細くなり、とうとう車一台しか通れない山道になった。
いつもなら引き返すところだけど、今日はどうにでもなれと進んだ。車に枝やツタがぶつかる。少しハンドル操作を間違えれば右側の谷に落ちそうだった。ゆっくり進んだ。
10分も道なき道を走らせたら道が開けた。
山の斜面に牧草地がずーーーーっと広がっていた、草や木の良い匂いがする。
モヤモヤがすっと晴れた。その後は木漏れ日の道が続いていた。素敵な道だった。
俺はできるだけ近道をしようと思って生きて来たんだろう。おかげで要領はよくなったが、めんどくさいことを嫌い、横を見れば好きな景色が広がっているのに気付かなかったんだ。
いつか、日光東照宮で「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず」という立て看板を見た。たしか徳川家康の言葉だ。感心した覚えがある。
あの時に気付いていたはずだったのに忘れるもんだ。
今度から寄り道をしようと思う。そこには何かある。
ニーチェが言っていた。何かを知ることは自分を発見することだ。
帰ってきて、洗い物をして、テントを干して、片付けをした。岡田将生と徳川家康ありがとう。
これから昼寝する。
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洗濯物を飛ばす春の風のように暖かくて強く、訪れを喜ばれる人になって欲しい。
新しい靴をおろしてどこまでも歩いていきたいと思う春の道のようにみんなに好かれる人になって欲しい。
愛する息子、何も心配しなくていいからね。